東京思風塾、次回2月6日(土)「美しさはなにゆえに重要か」
東京思風塾、次回2月6日(土)「美しさはなにゆえに重要か」
次回の東京思風塾2月6日ZOOM開催になります。
年間テーマ「美しいと共に生きる」
昨年から、愛がテーマになることが多く、
昨年を通して教えて頂いた内容で大きいのが
「愛を能力として捉える」
「人を愛するということは、短所も長所も愛すること」
「求める愛から脱却できず、与える愛に気づいて進化していない事が人間関係の崩壊の原因」
まず、愛は能力として捉えれば
能力は伸びるものであるから、成長させることが出来る。
その先に、愛は人生を生きていく力にし愛の力を磨けば、考え方が異なる人とも仲良くなっていけるということ。
また、学問として愛を捉えた場合、時間、空間の枠組みを使って物事を分析して
時間的な本質、空間的な本質が何か?
↓
本質が見えてくれば、理想、目的も見えてきて道筋が見えてくる。
「人を愛するということは、短所も長所も愛すること」
こちらも深い内容なのですが、
長所しか愛せない=人間を人間として愛する資格がない
短所はあっていい。これからの時代において人間教育で大事なのは、短所をなくす努力をしては絶対してはいけない
それは思風先生の姿を見ていると感じるところで、短所を責める(人を責める)ところをお会いしてから7,8年ほどの中で1度もみたことがなく、自分からすると仏様の様な優しい心を持っているとしか見えない位なのですが、言行一致でおっしゃられることと実際の日常に乖離が無くて、見習うべきはそういう姿ではないかと思うところです。
求める愛から与える愛
離婚、幼児虐待、誹謗中傷等、ネットを使って悪意のある他人に対する非難等
↓
これらは、完全性を求めるが故に失敗を許せない。相手を否定・非難・責めるという理性的な理屈な形で人を責めてしまう。=愛の欠如
・身勝手な愛
愛を持って対応していても、相手からすると伝わっていない。自分勝手な愛。愛しているつもりの愛も多い。
・未熟な愛
愛というものはあるが、未熟である。愛の未熟さ。人間の愛というのは、子どもの頃の求める愛から、大人になるにつれて、与える愛へと成長していく。愛の成長のプロセスがある。
これらの与えられることを前提に捉えてしまうと、多くの人が求める愛から脱却できず、愛されても物足りなく、愛の不足で相手を責めるということをしてしまう。与えてもらうことを期待しすぎて、自分の心が満たされていない。
思風先生は愛を能力と捉え、努力する愛として捉えられており
与える愛に喜びを感じることになると、成長したということ。人のために尽くすことが喜びになり与える愛、尽くす愛へと人間性が成長すれば、愛も成長する。
その愛の努力や成長を実現する為に大切な事として
愛の本質は
人間の短所を許し、認め、補い、相手の長所と関わって生きる。
それを言い換えると「不完全を生きる」
どんな立派に見える人でも長く付き合えば嫌な面も見えて来る。ただ、それが人間でありそれでいい。
そういう人間観を持たないと愛する事が出来ない。
短所が出て来るものであり、それを指摘、否定するのではなく許し、認め、補うという自分の方の心がけが大切
改めて見直したこちらの書籍から感じるのは、なかなか人は動かない。
自分自身もそのうちの1人ではありますが、考えるのではなく、感じろ→その先に行動がある
それを行徳先生とお会いし、お話し聞くたびにメッセージとしていただいているのですが、
毎年の自分が思う課題の1つに
素晴らしい学びだけど、日ごろの日常生活に活かせていないのは
感性が足りないのか?知識として得ているだけでその先のステージが見えてないのか?
それを問う様にしていかないと
学んで満足しましたのステージを今後いつまで続けていくのか?
また、自分にとって動くとは何か?仕事上の新しいチャレンジだけに結び付けて考えている自分がいて、それよりも日常生活のところから動いてみる自分を探そうと、そろそろ自分との対話をしたいと思っている中
ヒントになるのは
・活動している、輝いてる人を見る事、近くにいること
・理屈で考えるのが好きな場合は、脳の働きから入って
扁桃体の働き(脳みその真ん中あたりで感情を理解する場所)と海馬を理解し
脳にストレスな情報が感知される前に防いでしまう!
※理屈が無いと納得できない方の場合、先に脳の働きから入って感性が大切だというのを先に知って、思風先生の話を聞いたり
すると全然違うのかな?と思うところです。
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