東京思風塾、次回9月13日(日)「愛の本質とは何か~愛の空間的本質~」

東京思風塾、次回9月13日(日)「愛の本質とは何か~愛の空間的本質~」

東京思風塾、9月テーマは「愛の本質とは何か~愛の空間的本質~」

愛についてが今年のテーマとして主な内容になり

 

思風先生の話の中では柔らかく言うと

長所短所両方愛する!
※初対面や表向きにはいい面しか見えない方でも、長い時間や深い付き合いの中でどうしてもいやな部分も見えて来る。

だからこそ人間なんだと先生は仰られていて
嫌な部分が目についたとして、
・人を切る
・責める、叱責する
・原因を考える

思風先生が凄いなと思うのは、この不完全な部分において
言行一致が出来ているという事。周りの環境で本人の問題ではなく環境の問題、周囲の人間の問題があったとしても
責めるというのはなく、何とか原因と改善を行う姿を見ていて感じる所で。

 

 

昔は自分もよくやってたし、やられてたしというのが

正論を話して、常に相手を責める!
お客さんが!お金もらってるから!社会人として!信頼関係を得る為!
他に
起業家たるもの!

そんな言葉を使って、どれだけ心砕かれたか、そして砕いてしまったかと振り返ると
正しい様に思える事を言うより
相手に響くか否か、伝わるかの視点で見ないと

正しい事を言って、心が離れる
自分は常に正しいと思っていても、人望は無くなる。逆の立場で攻撃される様になると相手に愛の気持ちがない
いつも仕事は頑張っていても、人間性の部分で攻撃し続けていた父親の姿を見ていると

自分が常に正しいの感覚で、他人を責め続けて、自分が責められる様になったら
それを我慢し続けて、弱さ苦しみを見せず
段々と心病んでいく姿になり
そんな姿をまわりに見せる助ける言葉も出ずに、自分を追い詰めると。

そういっても、100%許しあえるか?というのも厳しい所で、一旦立ち止まって、責めなければいけないときに、相手が耐えれるハートを持っているか。心が離れてからそれを引き戻す努力が出来るか?

この辺りの心構えが必要なのかな?という点と、頭のいい方からすると自分の思考や行動が基準になると思うので、自分のレベル感についてこれない場合に、いかに引き上げるかではなく責めてしまうと。それをお前はこれだけ貰っているからとか。仕事上では外側の年収や肩書きをベースにして相手を責める傾向が強いと。自分自身も気をつけないといけないのが、思風塾はじめ人が集まる場の中において価値観が異なる方、何となく一緒にいるのがきついなと思っていても、声をかけられない、仲のいいグループが存在してて自分は参加しづらい、そこに思風先生の愛の実践の場だと感じてて、一声かけてみる、自分をさらけ出してみるが出来るかどうかなのかなと思います。

自分なりの方法としては、1つ上の層から物事、世の中を見るというやり方があっていて

 

いつもの自分と幽体離脱した様なもう1人の自分がいて、雲の上というか空から自分を見てというのを行うと今自分は相手を責めたり責められた李していても、客観的に自分が見れるというか、目の前以外の大局の視野が持てるというか、、人それぞれいろんなやり方、乗り越え方があると思いますが、自分の場合思風先生の言葉や教えを記憶して日常に活用するよりも、1人の自分ともう1人の自分を置いて相手との距離感を見つめる所に自分を置いておくのがあってるなと感じております。

 

前回の8月開催の様子

 

思風先生から
愛については多くの人が求める愛から脱却できず、与える愛に気づいて進化していない事が人間関係の崩壊の原因になっている事を教えて頂きました。

 

離婚、幼児虐待、誹謗中傷等、ネットを使って悪意のある他人に対する非難等

これらは、完全性を求めるが故に失敗を許せない。相手を否定・非難・責めるという理性的な理屈な形で人を責めてしまう。=愛の欠如

・身勝手な愛
愛を持って対応していても、相手からすると伝わっていない。自分勝手な愛。愛しているつもりの愛も多い。

 

・未熟な愛
愛というものはあるが、未熟である。愛の未熟さ。人間の愛というのは、子どもの頃の求める愛から、大人になるにつれて、与える愛へと成長していく。愛の成長のプロセスがある。

 

これらの与えられることを前提に捉えてしまうと、多くの人が求める愛から脱却できず、愛されても物足りなく、愛の不足で相手を責めるということをしてしまう。与えてもらうことを期待しすぎて、自分の心が満たされていない。

思風先生は愛を能力と捉え、努力する愛として捉えられており
与える愛に喜びを感じることになると、成長したということ。人のために尽くすことが喜びになり与える愛、尽くす愛へと人間性が成長すれば、愛も成長する。

その愛の努力や成長を実現する為に大切な事として

愛の本質は
人間の短所を許し、認め、補い、相手の長所と関わって生きる。

それを言い換えると「不完全を生きる」

 

 

こちらの記事にもある様に
いまの時代、政治も経済も混迷していますね。改ざん、隠蔽、デマという言葉が飛び交うだけでなく、詐欺があったり、不要な忖度をして、してはならないことに手を染めてしまったり、相手を誹謗中傷したり……。人間として醜く、悲しい思いが蔓延しているように思えてなりません。

何一つ信じることができないような世の中で、ただ一つ信じられるものは何なのか――。それは自分自身の命から湧いてくる「本音と実感」だけだと思うのです。
自分の本音と実感に命を懸ける生き方が、いま必要なのではないかと。自分以外のものに目を奪われたり、自分以外のものに頼ったりし過ぎると、振り回されたり、騙されたりして結果的に自分自身を見失ってしまいます。そうならないためには、自分を強く信じるしかありません。


Source: PR最新情報

Follow me!