2022年東京思風塾 年間テーマ 『理性革命〜理性とどうつきあうか』

2022年東京思風塾 年間テーマ 『理性革命〜理性とどうつきあうか』

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1月8日(土)「感性とは何か〜感性の本質」

2月5日(土)「理性とは何か〜理性の本質」

3月5日(土)「感性の価値とは何か」

4月2日(土)「理性の価値とは何か」

5月7日(土)「問いを持つこと以上に大事なことはない〜問いは感性 答えは理性」

6月5日(日)「思風会全国大会のためお休み」

7月2日(土)「理性の時代から感性の時代へ〜その歴史的不可逆性」

8月6日(土)「理性文明の完成と終焉〜過渡期の時代を生きている自覚」

9月3日(土)理性によって感性を育てる〜感性を敢えて言語化しまた感性に戻す」

10月1日(土)「理性的人間から人間的人間へ〜それでもあなたは理性的人間にとどまるのか」

11月5日(土)「理性と感性を統合する=美=愛の実力」

12月3日(土)「今年一年の振り返り〜理性革命を決断する〜人間が人間に憧れる時代がやってきた」

令和4年も引き続き東京思風塾会員としてご登録をいただき、人類史上第2の精神の黎明期を生きる過渡期人として学んでいただければ誠に幸いです。
 

 

 

開催時間13:00~15:30

時間構成
13:00近況報告
13:15第1講義
13:50シェア会(グループに分かれて)
14:00発表&質疑
14:15休憩
14:25第2講義
15:00シェア会(グループに分かれて)
15:10発表&質疑
15:25事務局からアナウンス
15:30終了
 

 

昨年は愛がテーマになることが多く、

昨年を通して教えて頂いた内容で大きいのが
「愛を能力として捉える」
「人を愛するということは、短所も長所も愛すること」
「求める愛から脱却できず、与える愛に気づいて進化していない事が人間関係の崩壊の原因」

まず、愛は能力として捉えれば
能力は伸びるものであるから、成長させることが出来る。
その先に、愛は人生を生きていく力にし愛の力を磨けば、考え方が異なる人とも仲良くなっていけるということ。

また、学問として愛を捉えた場合、時間、空間の枠組みを使って物事を分析して
時間的な本質、空間的な本質が何か?

本質が見えてくれば、理想、目的も見えてきて道筋が見えてくる。
 

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「人を愛するということは、短所も長所も愛すること」

こちらも深い内容なのですが、

長所しか愛せない=人間を人間として愛する資格がない

短所はあっていい。これからの時代において人間教育で大事なのは、短所をなくす努力をしては絶対してはいけない

それは思風先生の姿を見ていると感じるところで、短所を責める(人を責める)ところをお会いしてから7,8年ほどの中で1度もみたことがなく、自分からすると仏様の様な優しい心を持っているとしか見えない位なのですが、言行一致でおっしゃられることと実際の日常に乖離が無くて、見習うべきはそういう姿ではないかと思うところです。

 

求める愛から与える愛
離婚、幼児虐待、誹謗中傷等、ネットを使って悪意のある他人に対する非難等

これらは、完全性を求めるが故に失敗を許せない。相手を否定・非難・責めるという理性的な理屈な形で人を責めてしまう。=愛の欠如

・身勝手な愛
愛を持って対応していても、相手からすると伝わっていない。自分勝手な愛。愛しているつもりの愛も多い。

・未熟な愛
愛というものはあるが、未熟である。愛の未熟さ。人間の愛というのは、子どもの頃の求める愛から、大人になるにつれて、与える愛へと成長していく。愛の成長のプロセスがある。

これらの与えられることを前提に捉えてしまうと、多くの人が求める愛から脱却できず、愛されても物足りなく、愛の不足で相手を責めるということをしてしまう。与えてもらうことを期待しすぎて、自分の心が満たされていない。
思風先生は愛を能力と捉え、努力する愛として捉えられており
与える愛に喜びを感じることになると、成長したということ。人のために尽くすことが喜びになり与える愛、尽くす愛へと人間性が成長すれば、愛も成長する。

その愛の努力や成長を実現する為に大切な事として

愛の本質は
人間の短所を許し、認め、補い、相手の長所と関わって生きる。

それを言い換えると「不完全を生きる」

どんな立派に見える人でも長く付き合えば嫌な面も見えて来る。ただ、それが人間でありそれでいい。
そういう人間観を持たないと愛する事が出来ない。
短所が出て来るものであり、それを指摘、否定するのではなく許し、認め、補うという自分の方の心がけが大切

そして、愛以外には美しさをテーマに昨年は開催し

「美しいと共に生きる」
思風先生から、時代的な背景を踏まえてお話頂きました。

経済、政治において醜い言動がなされている、報道されている。
現実に対しても「美しく生きる」ことを一人ひとり意識しながら言葉を慎み、行動を慎み、生活を立て直していく。人間関係でも美しさを意識しながら生きるという、新しい人類の生き方を日本発で世界に伝え、素晴らしい未来・世界・社会を作っていくことを考えていかねばならない年。
美しさの価値重要で大切なのか、根拠を話すことから始めたいと思います。

古くから、人間はこの真善美を求めるということが、人間における根源的、最高の価値だといわれる中

価値観としては「真善美」と横並びで言われているように、重要な価値と言われているが、真と善は判断基準が理性にある
「美」は感性
近代になって、経済学が発達するようになってきて、人間的活動というのは、真善美を追求するだけではなく、利という価値も追求するべきという考え方が出てきた
真善美+利

科学と哲学の違いから
科学は事実を探求し、知識を獲得する為に生まれた学問

哲学は
幸福欲を実現する、それを感性論哲学では定義しており
幸福を実現するためにはカントが述べた真善美そして利が存在するが
大切なのは
真善美を追及してしあわせになるか?

それだけでは本当のしあわせは手に入らない
感性論哲学では人生は意志と愛のドラマという人生哲学が存在し
意志と愛を追及する事によって、命の底から湧きあがるしあわせを感じることが出来ると感性論哲学では説いています。

何故意志と愛が必要なのかというと
命には2つの目的があり、自己保存と種族保存
これはあらゆる生命の目的に与えた目的であり、その生命の目的に合致したものでないと本当のしあわせには繋がらない。

自己保存が意志
種族保存が愛

真善美利は手段として活用するもの
 

 

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【人間の美しさの根源は心の美しさ】

美しい心とは、考え方の違う者が仲良くお互いを理解しあえること
違いについては、宇宙の法則から考えることもでき

対存在
・闇があって光がある
・男がいて女がいる
・善があり悪がある

その様な対存在があってバランスよく成り立っている(=秩序がある)のが宇宙の法則
バランスが取れているというより、秩序が取れているから
違うものが協力しあって生きているから美しい

我々も宇宙の一部分という考え方からすると母なる宇宙がしていることと同じことを、社会という宇宙において実現しなくてはならない
美しい心を持つこと。考え方が違うものが、どうしたら協力しあって生きているか…ということを考えて生きていけること
どうしたら対立せずに生きていけるか、人間関係の美しさ=愛

人間一人ひとりの心の中に作らなくてはならない砦=愛=美しい心
秩序を作ろうとする心が美しい心
美しい心が美しい社会を創る
 

 

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「これから我々が求める美しさの核になるのは矛盾を生きる力」
これから我々が求める美しさの核になるのは 矛盾を生きる力

それこそが美しい

考え方が違い、価値観が違う方とどう接していくか
何で考え方が違うのか 体験が違う、経験が違う、知識情報が違う、物事の解釈の仕方が違う、人生における様々な出会いが違う

そんな考え方や違いは後天的に作られるもの
ただし人間が成長しようと思ったら 自分に持っていないものを相手から学ぶこと

対立というのは自分が成長する、学び取る為の現象と解釈し 人間が大きくなる 人間性の豊かさ、幅が出来る 違いについての根拠を知る、相手から学ぶその分だけ自分が豊かになる

それがこれからの時代の人類に求められる愛のあり方であり 美しい心を創る為の原理方法論

 

 

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「美しい心を持とうと思ったら美しいの対概念である「醜くない」を考える」
美しい心を持とうと思ったら美しさそのものを求めてはならない

美しいあり方とは何か?に直接的に答えようとすると複雑で多岐に渡るので、学問的に考えて答えを出すならば、どういう方法論を使わなければならないのか
というところから、話さなくてはならない
その方法論としては醜くないあり方とは何なのか?

そこから考えていかないと人間として本当の美しい心、人間性を持つ事は出来ない。

美しいの対概念である「醜くない」を考える

醜くない在り方とは何か?人間という立場から考えると、我々は美を求めるが、人間は不完全であるので、完全なる美に到達することはない
人間であるならば、なんらかの醜さというものを、その存在の中に抱えている
自分の心にある醜さを反省することが、美しさであるという自覚に到達する
不完全性というものを、存在論的に受け入れていかなくてはならない人間という命の在り方からする、非常に大事な原点
美しいあり方とは、醜くないあり方

我々は日常、醜い言動をしていることへの自覚をすることにより、対存在としての美しさに気づいていく

本当の自分を隠して相手の気に入るような言動、夫婦間での我慢、遠慮
偽りの自分、。演技された自分をやっていないか

人の不幸を喜んでしまったり
ある人を批判したり、責めたり、からかったり、悪口を行ったり、陰口を言ったり、
誹謗中傷したりというのは、自分の心の中にあることを反省し、そういう醜い心を持ってはならないという、その心の在り方というのを、自覚的に求めていく努力をする必要がある
それが不完全なる美の追求の仕方
完全な人間はいないので美しい心というのは醜くない心
 

 

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